2008年09月12日

勝手に生きろ!



チャールズ・ブコウスキーの小説、『勝手に生きろ!』だが、僕はこのタイトルに違和感を感じる。誤解を生む邦題だと思う。

原題は『Factotum(ファクトタム)』だ。「なんでもやれ」という意味で、雑役夫のことを指すらしい。

だから『勝手に生きろ!』は必ずしも誤訳ではないが、実は我々読者に向けたカッコいいメッセージでもなんでもない。

これは小説の中で、世間だか社会だかよくわからない大きなものが主人公に対して強制した命令なのである。「どうにでも好きにやってくれ、でもワシゃしらんよ」という、突き放した言葉なのである。

主人公「チナスキー」は二十歳そこそこの青年である。でもどんな仕事をしてもしっくりこない。納得できない。だからすぐにやめてしまう。

親にも見離され、チナスキーは全米の旅に出る。「旅に出る」と言えば聞こえはいいが、実際は居場所を求めて転々とせざるを得ない。

新しい街に行き、仕事をさがす。でもやっぱりすぐやめてしまう。酒を飲む。女が誘ってくる。女と寝る。街を出る。

それを何度もくりかえす。チナスキーは常に受身である。社会に対する漠然とした不満はある。漠然とした夢も持っている。でもどうやってカタチにすればいいのかわからない。結局世の中に翻弄され続け、自分がどんどん転がり落ちていくとわかっていながらどうすることもできない。

この救いようのない寄る辺なさ。この感覚は僕にも覚えがある、でもおそらく現代日本のフリーターやネット難民の人たちのほうがもっと痛感しているだろうと思う。

僕は時々思う、僕はひょっとして何かの「影」なんじゃないかと。階段をのぼり、上昇しているつもりでいるけれども、実は階段も「影」で、僕は単に地べたを這いずり回っているだけなんじゃないかと。その感覚に似ている。

かつて哲学者サルトルは、「自由の刑」という言葉を使った。人間は「自由」という名の刑罰に処されていると言うのである。

人間は自分の行動をなんでも自由に選択できる、でも「何をすべきか」というマニュアルは存在しない。そして、こんなにつらいことはない。

なぜならこれは「何をやっても自由だけども、結局何をやってもいっしょ」ということだからだ。

また、別の哲学者スピノザは、「人間は『神』に拘束されているからこそ幸せなのである」とかそんなことを言った。

「信じることは大切だ」、よく聞く言葉だ。ヒット曲なんかにもよく出てくるフレーズ。

だが逆から見ると、人間は何かを信じていないと生きていけない。だとすると、信じることは逃げである

でも他にどんな道がある?

だから僕は、宗教を信じている人を笑うことはできない。どんなにヘンテコな宗教であろうと。逆に、宗教を笑う人々にこう言いたい。

おまえらも結局何かを信じていないと心細いくせに。
posted by にあごのすけ at 10:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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