2009年01月27日

バッファロー'66



どのジャンルにも当てはめられない映画である。もろ喜劇なのだが、悲劇ともとれるし、ラブストーリーでもある。視点を変えればミュージカルとも言える。

監督・脚本・音楽・主演と、ヴィンセント・ギャロが4役をこなしている。つまりは彼のやりたい放題な映画なのである。好き勝手やっているから一言でいうとグチャグチャな映画なのであるが、そのくせきれいにまとまっている。ヴィンセント・ギャロの世界観を反映しているという点でひとつにまとまっているのだろう。

ストーリーは、ギャロ演じる「ビリー」が刑務所を出たところから始まる。ビリーはもよおし、トイレを探すがなかなか見つからない。どこへ行っても「清掃中」、駐車場のすみっこで隠れてしようとするも運悪く車が入ってきて中断。

出だしからしてコレである。トイレ探しの旅がえんえん15分くらい続く。ビリーはもろに「ヘタレ」なキャラで、ギャロはそれを見事に演じている。

ビリーは、自分が刑務所にいたことを親には内緒にしている。「政府のために遠くで働いている」と嘘をついている。親に本当のことを打ち明けられないのだ。このあたり、僕も共感する心理である。親が怖いわけではないが、心のどこかで親を畏怖している。ビビッている。

映画のテーマはというと、「親に望まれずに生まれ、トラウマを背負って生きてきた男が、ある女性との出会いによって癒されていく」ということになろうか。

文章に書くと堅苦しいテーマだが、ギャロはそれを見事に、面白く料理している。その手があったか、と言いたくなるくらい。

ビリーは、途中で出会った(拉致した)女・レイラ(クリスティーナ・リッチ)をつれて実家に帰る。

「オレは結婚したことになっているから、妻の役を演じろ」

そして実家に帰ると両親、アメフト狂いの母親と、無神経そうな父親が出迎える。ビリーは戦々恐々、妻を紹介するが、両親は意外と無関心。

親ってのはそんなものである。子どもを愛しているのだろうけれども、どこまで行っても自分の視点からしか子どもを理解しようとしない。

母親はテレビのアメフト中継、ファンであるバッファローの試合に夢中になっている。結局バッファローが負け、母はビリーに怒鳴りつける。

「66年のあのとき産気づいて私は病院に行ったから、バッファローの優勝の瞬間を見逃したのよ! あんたなんか生まれなきゃよかったのに!」

非常にうまい設定。深刻になりがちなテーマをここまで面白くする。

途中、なりゆきでビリーとレイラが同じホテルに泊まるシーンがある。

しかしビリーは何もしない。レイラが同じベッドで寝ようと言っても、ビリーはベッドの端っこで落ちそうになりながら固まっているだけ。

いっしょに風呂に入るが、やはり何もしない。風呂の中で固まっている。レイラは、そんなビリーを興味津々、不思議そうに見つめる。

設定ではビリーは66年生まれ、98年公開映画だから32歳か? 童貞なんだろうか。少なくとも、あまりいい恋愛はしてなさそうだ。女の愛を欲しているが、どことなくビビッてしまうあたり、これも男の僕は共感できる。

この映画、女性の観点で見たらどう感じるのかわからないが、男の視点から見ると非常に痛いところを突かれる映画である。自分にも身におぼえがある、カッコ悪くて目を覆いたくなるようなシーン満載。男のへんなプライドと見栄と、ちょっとしたことでもオオゴトにとらえてしまう弱さと、心の中でこねくり回している変な理屈を、すべてオープンにしてしまった、哀愁漂う映画。

しかしクリスティーナ・リッチのムチムチした身体、たまりません。

posted by にあごのすけ at 04:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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