2010年09月09日

アセンション 終焉の黙示録



アセンションとは本来は、「キリストの昇天(はりつけにされて死んだキリストが復活して天に昇っていったこと)」を指す。

最近はやりの「2012年人類滅亡説」によると、2012年に人類の意識が高次元へと進化するらしく、それもアセンションと呼ばれている。まあ僕は否定も肯定もしない。結局のところ未来はわからない。科学だろうと占いだろうと宗教だろうとそれは同じだ。

さて、この映画「アセンション」。舞台は近未来か。「神」が何者かによって殺された。神が持っていた万能の力は飛散し、人類の誰もが奇跡を起こせるようになった。だが精神はしょせん人間のまま、力を身につけた人間同士のみにくい大殺戮がはじまる。こんな世界を終わらせるため、夢によってみちびかれた3人の女が、廃工場にやってくる。そして最上階にいるという「何か」と会うために、さびついた階段をのぼり始める。

……と書くと、いったいどんな映像だろうと思うかもしれない。でも驚くなかれ、これだけの設定を、冒頭の5分ほどのナレーションですませてしまうのである! あとは3人の女が、ひらすら階段をのぼるシーンがどこまでも続く。まさに低予算カルト映画と呼ぶにふさわしい作品だ。

この映画、レンタル屋で借りたのだが、SFのコーナーにあった。店の人も分類に困ったのだろうが、明らかにSFではない。死体の映像がいくつもあるが、ホラーと言うほどでもない。

宗教映画でもない。しいて言うと「哲学映画」か。そんなジャンルはもちろんない。

クライマックスもオチもない。ただ階段をのぼりながら、見知らぬ同士の3人がブツクサと話し続ける。

テーマはいろいろ解釈できるが、僕が思うに、神がいない世界とはどんなものかを極端な手法で描きたかったのだろう。

いまのこの世界がまさにそうだからだ。神も道徳も愛も信じられない。階段をひたすらのぼっていくだけの、無意味な人生。ただ科学だけが発達し、人間は万能の力を手にいれつつある。人間はまったく不完全な精神のまま、「神」になろうとしている

映画の中の会話で、僕が好きなものがある。

「万能であるはずの神がなぜ殺されたのか?」

3人がいきついた答えはこうだ。

神は実はこれまで誰にも愛されたことがなかったのではないか? 愛されたがゆえに殺されたのではないか? なぜなら愛は誰もを無防備にするから。おそらく神でさえも。

「答え」はないが、「考える」ためのヒントにはなる映画である。あと付け加えると、いわゆる廃墟萌えな人にもおすすめの映画だ。

さて、いささか脱線するが、神も道徳も人も、信じるに値する根拠があるから信じるものではない。根拠がないのに正しいと思うことを「信じる」と言うのだ

ならば「信じられない」という表現自体が矛盾をはらんでいる。「信じられない」は「信じようとしない」と同義語だ。

よって、神を殺せる存在がいるとすれば、それは人間以外に他ならないと思うがどうか。

posted by にあごのすけ at 03:28| Comment(1) | TrackBack(0) | 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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