2011年08月02日

幻の光(宮本輝)



死をテーマにして書かれた、宮本輝の短編集。特に表題作は自殺がテーマとなっており、他の収録作品とは趣を異にする。

主人公である女性が、自殺した夫にえんえんと語りかける、という文体である。

主人公は、同じ長屋で育った幼馴染の男と結婚し、子どもをもうける。貧乏だが幸せな日々がいつまでも続くかと思われた矢先、夫が鉄道自殺をする。夫はいつもどおり仕事に行き、帰りに喫茶店に立ち寄り、だがその数時間後、彼は線路の上を歩いていた。後ろから電車が迫ってきても淡々と歩き続け、そのまま轢かれて死んだ。

理由は誰にもわからない。

「なんであんた死んでしもうたんやろ」

主人公は、イメージの中で線路を歩いていく夫の後姿に語りかける。いつしか、死んだ夫に向かって心の中で話しかけるのが習慣になっている。やがて主人公は子連れで能登の漁村に嫁ぐ。それでも、前の夫に話しかける癖はぬけない。

これは僕の個人的興味なのだが、小説などで、自殺の理由を文章で表現するのは不可能に近い作業だと思う。なぜなら、ほとんどの自殺には、実は理由なんて存在しないからだ。

有名人が自殺するたび、マスコミはあれこれと理由を推察し書きたてるが、どれも的外れのように感じる。

自殺に理由はない。いや、人間のすべての言動には実は理由はない。人は他人の行動に理由を後づけし、自分の行動や人生にも、スジが通っているかのように思い込む。ところが実際は、人は日々、理由もない行動をくりかえしているだけだ。哲学者クリプキの言うところの『暗闇の中での跳躍』を、瞬間瞬間くりかえしているのである。

よって人が自殺する「きっかけ」はあるかもしれないが、その真の理由は他人には決して理解できないし、おそらく本人にもわからない。批判しても哀れんでも、結局のところ真相にはまったくたどりつけない。『暗闇の中での跳躍』をくりかえしていて、何かのはずみでそうなってしまった。僕が考えうるのはそこまでである。

主人公は嫁いだ町に少しずつ馴染み、新しい幸せを育んでいく。でもそれをどこかうしろめたく感じている。ある雪の日、ひとり海辺を歩いていた彼女は、突然感情が破裂し、砂浜で初めて嗚咽する。

「ああ、あんたは死にたいだけなんや、理由なんか何もない、あんたはただひたすら死にたいだけなんや」
「ああ、あんたはなんて寂しい可哀そうな人やったやろ」

いまの夫に話すと、彼はただ一言こう答える。

「人間は、精が抜けると、死にとうなるんじゃけ」

僕はというと、先を考えると途方もない気持ちに襲われるゆえ、とにかく目の前の物事を淡々とこなすのみである。もっとも、『跳躍』をくりかえしていて足を踏みはずす可能性もあるが、死が端的に無であるならば、そこには自覚も理由もないだろう。
ラベル:宮本輝 自殺
posted by にあごのすけ at 17:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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