2008年08月13日

脳内現象



最近、NHKの科学番組などでよく見かける茂木健一郎の本である。あの髪の毛モジャモジャのマッドサイエンティスト風の男である(テレビに出すぎていて本業の研究がおろそかになっていないかちょっと不安であるが)。

僕が最初にこの本を読んだときは驚いた。自分の知らないことが書いてあったからではない。

「科学者でもこんなことを考える人がいるのか」

こういう問題はてっきり哲学の領域のもの、科学者なんて見向きもしないものと思っていたからだ。

「こういう問題」とは説明するとこうだ。

意識のハード・プロブレムと呼ばれるものがある。1994年に哲学者デイヴィド・チャーマーズが提唱した。

科学者は、脳の構造や血流量やらを実験的・解剖学的に調べ、「心とは何か」をわかったつもりになっている。研究が進めば、そのうち人間をゼロから作り出せるようになるかもしれない。あるいは、人間と同じように考え行動するロボットができるかもしれない。

だがしかし。そうやってできた生き物に「心」や「意識」があるかはどうやって証明する? 見た目や言動が人間でも、心は持ってないかもしれないではないか(これを「哲学的ゾンビ」と言う)。

つまり、これまでの科学のやりかたでいくら脳を調べてみたところで、そこからどうして「僕」が生じているのかは解明できない。同様に、たとえば触感と脳の関係をいくら研究したところで、岩肌を触ったときのあのザラザラとした感じ(「クオリア」と言う)がどうして生じるのか説明できない。

この大問題に取り組んだのが本書である。彼はこの問題について色々本を書いているが、一番わかりやすくて問題の核心を理解しやすい本のひとつである。

しかしこれは僕の考えであるが。

科学によって「僕」とは、「心」とは何か、永久に解明されないと思う。

理由は簡単だ。科学は客観的方法であるから科学なのである。それに対し、「心」は主観でしか感じることができない。

主観を客観でとらえることはできない。主観的な「心」を科学のまな板の上に乗せたとたん、それは客観的な「ココロ」に姿を変えてしまう。

なにはともあれ、茂木健一郎というこの人、個人的には非常に共感をおぼえる。

彼は表面上は科学者であるが、内面は詩人であり、哲学者である(それは彼のブログなどを見ればわかる)。

科学とは非常に冷たく、味気ない学問である(これは理工学部を中退して哲学科に編入学した僕の経験からも言える)。茂木氏は、この殺伐とした科学の世界に、少しでもいいから温かみを持たせたいのではないか

現代科学はとっくの昔に人間の手をはなれ、あまりにも一人歩きしすぎた。少なくとも僕は思う。
posted by にあごのすけ at 20:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。