2008年08月28日

酒の肴

今年の秋は早すぎる。

まだ8月だというのに。急にすずしくなってしまった。僕の好きな蝉の鳴き声も聞こえなくなった。蝉は死んだ。毎日曇天模様、入道雲もどこかへ消えた。

秋と同時に僕の「うつ」のシーズンが始まる。

いまだに納得できていない、僕は本当に「そううつ病」なのかと。僕は哲学的に悩み始める、悩むからゆううつになるのか、ゆううつだから悩むのか。

僕は前者であってほしいな。でないと、古今東西の無数の哲学者たち、作家たち、芸術家たちの苦悩がすべて「うつ病のせい」になってしまうから。

「問題」と「気分」とはそもそも別のもののはずである。気分が良かろうと悪かろうと、問題は残る。

僕は自分の居場所がないと感じる。会社だろうと家だろうと。街の片隅だろうと。理由はわかっている。僕は僕のいない場所に行きたいのだ。でも僕はどこまでもついてくる。

仕事が終わる。でも僕の心はずっと重たい。まるで脳みそに釣り糸でおもりを吊るされているみたいだ。それも大物狙いの沖釣りで使う六角シンカーみたいなやつだ。

僕は助けを求めるみたいにして立ち飲みに入る。質素なつくりの昔ながらの立ち飲み。

いらっしゃい。店主が威勢よく言う。でもきっと僕のことは覚えていない。

僕は雲海のロックをたのんだ。ずらりと並んだ一品料理の中から適当に選んだ。壁をみつめてひとりチビチビと飲んだ。

そこへ50前後のおっさんが入ってきた。鼻ひげを生やしている。僕の隣についた。

「おーひさしぶりやね」

店主が言うと、男は少しかすれた声で、

「うん、しばらく広島に行っとってん」
「広島? 何しに」
「そのまえにビールちょうだい」


男はコップに注いだビールを一気に飲み、

「コレやコレ」

 首筋にある傷を自慢げに見せた。

「ずっと大阪の病院に行ってたやろ。薬がなくなったゆーから広島まで行って見てもろてん。そしたらコレ、癌やねんて」
「うわああ」


店主がわざとらしく嫌そうな顔をした。

「それでいきなり手術や。いきなりここ、ガッと切ってな。でも広島まで行ってよかったわ、でなかったらいまだに癌見つかってない」
「治療は続けてんのか」
「今日でおしまい。今日医者に行ったら言いよった。治療は今日でおしまい」


死ぬのは怖くなかったんですか。僕は思わず口をはさみそうになった。だがすでに話は終わっていた。癌の話はおわり、男はどうでもいい世間話を続けて機嫌よく飲んだ。

僕はある老人のことを思い出した。

******

以前、別の店で飲んでいたら、そこに人のよさそうな老人が入ってきた。

「明日手術やねん。胃がんの手術」

老人は楽しそうに言った。本当に、遠足の日を待つ子どものような笑顔だった。

「それでな、献体の申込書書いてん。一度くらいは人様の役に立とうと思ってな。弟を説得して無理やり同意欄にハンコ押させたった」

老人はウイスキーをかみ締めるように飲んだあと、

「それじゃあな。生きてたらまた来るわ」

老人は二度と店に来なかった。

******

僕の目の前には、一品料理がずらりと並んでいる。

「○○ちょうだーい」

注文の声、店主は慣れた手つきで皿を取り、客に回す。空いたスペースには別の一品料理が加えられる。だから台の上は常に料理でいっぱいだ。

あるいはそんなものなのかもしれない。

どんなに深刻な話でも、立ち飲み酒場ではひとつの「話のネタ」「酒の肴」になってしまう。誰も深刻になることもなく、酒場の楽しげな雰囲気は決して途切れることはない。

あるいはそんなものかもしれない。

生も死も、出会いも分かれも、老いも病も、悲しみも苦しみも、しょせん酒の肴みたいなもんだ。

そう思うとちょっとはかなくもあり、でもわずかに気が楽になる。

あるいは雲海が回ってきたせいか。
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posted by にあごのすけ at 08:41| Comment(1) | TrackBack(0) | 出来事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんな事を言うと水をさすようだけど、昨今、火葬代も子供に迷惑を掛けられないからと、献体を希望するお年寄りが多い。

でも献体の数は足りているし、老人の解剖はみずみずしさがなくてやりづらい。

だから断られるケースが増えているけど、要らないと拒否されると最後になって辛いなあ。
Posted by at 2017年10月02日 18:56
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