この本を紹介すべきかどうかちょっと悩んだ。あまりにも生々しいからである。ま、あの『別冊宝島
思うに自殺とは、人間にとっての最後のロマンなのである。
この世に夢も希望もないと感じた者が、最後に求めるユートピア、それが死である(もっとも、もっと現実的な問題で自殺する人もいるけれど)。
「もうどうしようもなくなったら死んでしまえばええねん」
こういうことを平然と言う人間が時々いる。彼らは死を心のよりどころにして生きている。こんな生き方もアリだろう。でも僕は嫌悪感をおぼえる。
この本では、「自殺するってことはホントはこういうことなのだ」という自殺の現実をまざまざと見せつけられる。
富士の樹海の実態、自殺体のようす、自殺を試みた患者が運び込まれる救急医療センターの徹底取材、リストカットの取材、自殺の実例集、自殺サイトの裏側、薬物中毒の実態、などなど(ただし、2000年に出た本なので内容がやや古い。リタリン中毒の話があったりとか)。
いやな気分になる本である。自殺に対するロマン・幻想なんてふっとぶ。
でもこれでいいのだと思う。
僕は躁うつ病である(もっともこの病名には若干疑問を感じるが。僕はむしろ「哲学病」だろう)。
ダメな時期が続くと、死にたいという欲求が出てくる。まるで空腹のときに「何でもいいから食いたい!」という衝動が生じるように、死への衝動が襲ってくる。
でも僕は自殺しないだろう。自殺しないと心に決めている。
人生はむなしい。信頼できるよりどころなどない。すべては最後に消えるだけの無意味な存在だ。
それでも人生にYESと言えるかどうか。
それが僕のテーマであり、このブログのテーマでもある。
根アカな前向き思考、プラス思考なんて嫌いだ。
僕は人生の最底辺、絶望感のどん底に立って空を見上げていたい。
僕にとってのうつ状態、自殺願望は、一種の「苦行」だと思っている。まるで高野山で千日苦行をおこなう行者のように。
思えば僕はこれまで何回「苦行」を重ねてきただろう。
でもあとから思えば、うつ状態のときの自分のほうが輝いているようにすら見えるのである。少なくとも、必死に生きようとしている。
(追記)
上記で僕が書いたことが、すべての自殺志願者に届くとは思っていない。
僕にとってこれは苦行である。うつ状態のときの僕のおこないは、すべて苦行の一環である。
僕は死なないために歌をかく。
僕は死なないために小説を書く。
僕は死なないためにこのブログを更新し続ける。
僕は死なないために人と出会う。
でもこういうことができるのは、僕が軽度のうつ状態だからだと思う。薬が効いているからかもしれない。
重度のうつ状態になると、文章を書くどころか起き上がることすらできなくなるときくから。
そしてたぶん、どんな思想も言葉も届かないような、衝動的な自殺というのも存在する。
すでに死んでしまった人を責めるつもりは、僕はまったくない。
彼らはすでにあっちの世界に行ってしまった。生きている僕らがどんな批判をしたところで、その言葉はあっちの世界には通用しない。
ただ、彼らがなぜ死を選んだのか。それを考え、理解しようと努力することが、残された僕たちに課された義務だと思う。
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少なくともあなたがまだ生きているなら、あなたがまだ「生きたい」という気持ちをわずかでも持っているからです。
ならばとりあえず逃げましょう。南の島でもインドでもどこでもいいから逃げましょう。問題先延ばしけっこう。逃げることは悪いことではありません。
ご健闘を祈ります。
私も本当に死のうと思ったことあります。
その時はじかんが止まったみたいに、その事しか考えられませんでした。たぶんうつ状態だったんだろうと思います。特に嫌なことがあったわけではありません。なぜ死ななかったのかも覚えてません。
でもそれ以来 死 がつきまとっているようです。
気持ち悪いです。
人間は落ちるところまでいくと、思考回路ができてしまうのでしょうか?
人間がなぜ死にたいと思うのか、よくわかりません。ただし「死」が人間その他の生き物にとって根本的な問題であるのは確かだと思います。死について考えること自体は、まあいったんその問題にとりつかれてしまったんだからしかたないかな、と自分では思っています。
かの有名な禅僧・一休宗純の名前の由来。「この世とは、あの世とあの世あいだの一休み」だから一休さんなのだそうです。そう思うとちょっとは楽にはなりますが。