2008年09月13日

2001年宇宙の旅



この映画についてはもういたるところで語られ、語りつくされていて、いまさら何を書いても2番煎じにしかならないだろう。1968年制作とは思えないリアルな特撮、進化を扱った壮大なテーマ、などなど。

でもここでは、宇宙船ディスカバリー号に搭載された人工知能「HAL9000」に焦点をしぼってみたい。僕がいつも考えている「心って結局なんなの?」という疑問について考えるにあたって、よい題材だと思うからだ。

人類史上のポイントポイントで突然姿を現す謎の物体「モノリス」。それが木星近辺で見つかったということで、ボウマン船長はじめとする探査隊が宇宙船ディスカバリー号で木星に送り込まれる。その宇宙船を完全に制御しているのが、コンピュータ「HAL9000」である。

HALに心や自我といったものがあるかはあまり問題にされない。映画内でそれについて触れるシーンがあるが、乗組員は「さあどうだろうね」てな程度で流してしまう。

しかしHALは宇宙船内のあらゆる物事をチェックし、乗組員たちにも気を使い、無表情で淡々と事務をこなしたりひまをつぶしたりしている人間たちよりもよっぽど人間っぽく見える。

ところがここで問題発生。「モノリス探査」という任務はトップシークレットで、乗務員らには知らされていなかったのである。木星に到着して初めて任務が告げられることになっていた。

この真の任務を事前に知らされていたのは、HALだけである。

そしてHALの「苦悩」がはじまる。

HALは乗務員に任務を知らせるわけには行かない。だから乗務員らに何か聞かれても「ごまかし」をしたり「ウソ」を言ったりしなければならなくなる。

乗務員らは、HALが壊れたんじゃないかと思い始める。そしてHALの主電源を落とそうと試みる。しかしそれを察知したHAL、そんなことをされたら任務遂行ができなくなる。困る。

そしてHALは「迷った」あげく、乗務員らを殺そうと「決意」する(このへんの謎解きは続編『2010年』が詳しい)。

表面上は「コンピュータが狂った!」という話だが、僕から見ると、単なるコンピュータだったHALが「苦悩」することでどんどん人間的な心・自我を獲得していく過程がおもしろい。

僕の友人にこんなことを主張しているやつがいる。矛盾した命令を与えられたり、究極の選択を迫られたりしたそのときにこそ、コンピュータは自我や意識を持ちうるのではないか?

だとすれば人間も同じことが言えるのか。「こころ」があるから「苦悩」するのではない。「苦悩」が生まれたから「こころ」が生じたのか?

最近の人類学の研究によると、精神分裂病(統合失調症)が生まれた時期と、人間が壁画などの芸術を生み出した時期とは一致するそうである。

人間はその存在自体が「精神病にかかった霊長類」なのかもしれない。苦しみも悲しみも喜びも芸術も、ひょっとしたら全人類が発症しているある種の精神病の産物なのかもしれない。

コンピュータの話に戻ろう。

コンピュータが「意識」「心」を持つ(少なくとも持っているように見える)日は近い将来必ずやってくる。僕はそう思う。でもそうして生まれてきた「連中」は、きっと冷静沈着で、公正で、おだやかで、静かなやさしさをたたえている、そんな連中にちがいない、僕にはそう思えるのだ。

もう15年も前だが、テレビの特番で『2001年』の原作者アーサーCクラークが出ていた。

「将来、コンピュータと人類が敵同士になって戦争をすることはあり得るか?」

こんな質問に対し、彼はこう答えた。

「ありえないことではないと思います。でもその戦争を始めるのは・・・・・・人間とコンピュータのいったいどっちからなんでしょうね?」

彼は意味深に笑った。彼はみなまで言わなかったが、僕は妙に納得してしまう。
posted by にあごのすけ at 18:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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