2009年02月09日

子どものための哲学対話



以前の記事でも永井均の似たような本を取り上げた(「 翔太と猫のインサイトの夏休み」)。

この人は、子ども向けの哲学入門書を何冊か書いている。これもその一冊なのだが、「 翔太と猫のインサイトの夏休み」と同様、この本もかなりやっかいである。

章立てを見るとその奇妙さが少し伝わるかと思う。

第1章 人間は遊ぶために生きている!
第2章 友だちはいらない!
第3章 地球は丸くない!


さて、あなたはこの本を自分の子どもに読ませたいと思うだろうか?

内容は、小学生(あるいは中学生)の「僕」と、言葉をしゃべる「ペネトレ」という猫との哲学対話である。

あるテーマについて、「僕」と「ペネトレ」が語り合う。簡単な言葉が使われているし、文章も短い。挿絵もたくさん入っている。

しかし書いてある内容が非常に深いのである。あまりにも深すぎる。

たとえば「僕」が問う。

「どうして約束をやぶってはいけないの?」

こうして「僕」と「ペネトレ」の対話が始まる。でも結局、「ペネトレ」の哲学的な解答に「僕」は翻弄される。そして「僕」の最後の一言がコレ。

「???」

読者の反応もおそらくこれに近いと思う。子どもが読み解くにはあまりにも深すぎる内容。百歩ゆずって、考え方の固まっていない子どものほうがひょっとしたら理解できるのかもしれないが。

僕が思うに、おそらく著者は、僕ら大人の中にまだ眠っている「子ども」の部分に対して語りかけているのだろう。

別の本で書いていたが、永井均は、わかったつもりになるだけで実は何もわからない入門書は書きたくないそうである。

それはこの本にも当てはまる。哲学の入門書的な簡単なテーマを挙げるが、でもヒントしか書かない。「あとは自分で考えてください」というスタンスである。

そしてこの態度こそ真に哲学的であると僕は思う。

思えば僕らは、いかに多くの固定観念に毒されていることか。

「地球は丸い」「人を殺してはいけない」「うそをついてはいけない」などなど。さまざまな知識や道徳を身につけている。でも「なぜ?」と聞かれてすぐに答えられる人は少ない。

結局僕らは、自分で考えることを放棄して、ありものの教養を疑問もなく受け入れて大人になってしまったのである。

ふと考える、そんな何も考えていない大人が、果たして子どもを育てる資格はあるのか。「どうして?」とくりかえし聞いてくる子どものほうが、よっぽどいろいろ考えていて哲学的姿勢を持っているというのに。

そう考えれば、この本は僕らが真の大人になるための入門書とも言える。

posted by にあごのすけ at 02:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/113917577
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。