2009年03月17日

超訳『資本論』



『この世はすべて銭ズラ!』

というのは、前回紹介した『銭ゲバ』のセリフだが、そもそもお金とはなんなのだろう。

高校から浪人時代にかけて、僕は新興宗教がらみの人間か、学生運動をやっている奴らとばかりつるんでいた。結局僕はそのどちらにも染まらなかったのだが。「この世の真理を知りたい」「人間の生きる意味を知りたい」という点では波長が合ったのだろう。

共産主義団体に属していた友人から、資本主義とは何かという講釈を何度か受けた。

彼らが言うには、人間の大多数、普通に働いている庶民は、ごく一部のお金持ちに奴隷のようにこき使われているということらしい。

しかしお金持ちよりも庶民のほうが圧倒的に数が多いわけで。労働者が一致団結すれば必ず勝てる。労働者よ立ち上がれ!いまこそ革命だ、働く人々が主人公の社会を作り出すのだ!というわけである。

僕は彼らの主張があまりよく理解できなかった、というか魅力を感じなかった。しかしいまになって思えば、そう主張している彼らだって、共産主義や資本主義をちゃんと理解していたかどうかはあやしい。

今回この『超訳「資本論」』を読んで、長年もやもやとしていた疑問がちょっとはスッキリしたような気がする。

『資本論』は、19世紀の後半にマルクス(とエンゲルス)が書いた本だ。別に共産主義の啓蒙書ではない。お金中心のこの世の中(資本主義)が、どのようなしくみで動いているのか、論理的に暴いた本である。

『超訳』はこの『資本論』の言わば虎の巻、要約として書かれたもので、これを読めば『資本論』の大筋がわかるようになっている。

目からウロコである。『資本論』は決して過去の遺物ではない。いまの社会にも充分あてはまる内容だ。

『資本論』の主張を一言で言うならば、労働者は資本(家)からお金を搾り取られている、ということに尽きる。

たとえば資産が1億円の会社があるとする。翌年、その会社は黒字になって資産が1億2千万円になった。増えた2千万円はどこからきたのか? それは会社に勤める社員から搾り取ったお金なのである。

たとえば僕が月収20万円で、ある商品をつくったとする。会社はそれを50万円で売る。差額の30万円はどこへ行くかと言うと、会社に入るのである。本来は商品をつくった僕が50万円をもらうべきなのに!

じゃあ会社が悪いのかというと、そう簡単な話ではない。株式会社ならば、実権を握っているのは株式を持っている投資家である。

投資家こそ「資本家」なのか? でも彼らだって株式を売買するにあたって証券会社を使っているわけで、ある意味、証券会社のエジキにされて金を搾り取られているわけだ。

『資本論』は資本家を批判する本ではない。本当の意味での資本家なんて実は存在しないのかもしれない。資本主義の主人公はあくまでも「資本」つまりお金である。お金を巡って、人間がお互いに搾り取りあるいは搾り取られ、えんえんとバトルをくりひろげているのがこの社会なのである

『この世はすべて銭ズラ!』

再び銭ゲバのセリフが聞こえてきそうだ。僕は『資本論』の主張を必ずしも鵜呑みにしない。別の解釈だっていろいろ成り立ちそうだ。

しかし少なくとも、僕たちが「金」に縛られて生きていることは間違いない。本来は道具にすぎなかったはずの金にいつしか主導権を奪われ、僕らは金の奴隷になっている。

僕は搾り取られる側になるのはまっぴらゴメンだし、逆に搾り取る側に立つのも罪悪感を感じる。どちらの側にも立たずに生きていく方法はないものか。

すべての人生は「死」の前では負け戦である。

僕はブログのサブタイトルにこう書いた。でもせめて生きている間は勝ち組の側にいたいというのも人情である。僕の欲である。

ホームレスになっても幸せに笑って生きていられるほど、僕は達観できていない。


posted by にあごのすけ at 12:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/115786599
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。