2009年08月09日

蝉 semi(長渕剛)



僕はそれほど長渕ファンではない。それどころかもう10年以上まともに聴いていない。でも高校時代〜20歳過ぎまではよく聴いていた。

ひとつには、その頃僕がフォークギターを弾き始めたというのがある。

まわりの友達がみんなエレキに走るのとは逆に、アコースティックギターを買った僕は、さて何を歌おうと迷った。70年代フォークは好きだが、人前で弾くにはあまりにも旬をすぎていた。その点長渕は、リアルタイムで活躍していて、なおかつアコギで弾き語りできる数少ないアーティストのひとりだったのである。

街にはストリートミュージシャンがあふれていた。みんな長渕を弾いていた。僕もそのひとりとなった。大学時代、金に困ってヤケクソで、弾き語りで得た収入で食費をまかなっていたこともあった。

ところがあるとき、取り巻きのひとりからこう言われたのである。

「歌い方が長渕っぽくない」

僕はガクゼンとした。僕は決してモノマネしているわけではないのだ。自分で弾いて自分で歌う。だから自分流でいいんじゃないのか?

これを機に僕はだんだん長渕から離れていった。

長渕はマスコミから『教祖』と呼ばれるようになり、彼自身の歌もどんどんメッセージ性が強くなった。

93年のアルバム『Captain of the Ship』が決定的だった。長渕剛の個人的メッセージが満ち満ちている。もうこれは僕は歌えないな、と思った。僕は長渕の布教家でも宣伝マンでもない。いや、逆説的だが、長渕の歌に少なからず敬意を表するのであれば、彼の歌ではなく、自分自身の言葉と歌い方で歌うべきだろう。

その半年後に彼は大麻所持で逮捕された。長渕も疲れていたのか。

復帰後に出たアルバム『家族』はなかなかよかったが、これを最後に僕は長渕を聴かなくなった。

そして本当に久しぶりに聴いたのが、この7月に発売された『蝉 semi』である。

蝉 semi

作詞作曲 長渕剛


蝶よ花よで かつぎあげられ
背中にスミを 入れようと
己の弱さを呪った 一人の夜

腐って腐って 腐り果て
ラーメン横丁の たて看板
ごろまきひっかく チンピラの
哀れ いきがる 悲しさよ 
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・


刺してみせましょ 己の腹を
刺されてみましょか ボロ雑巾
ため息まじりの ラッパの兵隊
 
幾人束ねて カチ込んでも
命からがら 負けちまい
正気のさたじゃ ねぇなどと
狂った馬鹿が カタギを気取る
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・


はったりばかりを かますから
裏と表を すかしましょ 
酒におぼれて毒づいた 一人の夜
 
臭ぇ 人情芝居が
俺にゃ ゆがんで見える
サイコロ転がし 「チョウ」か「ハン」かで
昇ってみましょか この世の果てまで
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・

群れをなさない 都会の蝉よ
お前そんなに 悲しいか 
切ったはったではじかれ 死んだふり
 
心揺さぶり ときめかし
肝に命じて はいあがりゃ
裏切り血の雨 ふっかけやがる
カタギのくせして 極道の真似事
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・

蝉が泣く・・・ チキショウと・・・
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・


けっこう聴いている。いまの僕の気分に合っているのか。PVもなかなかよい↓。
http://www.youtube.com/watch?v=9tdEnbEdgIA

長渕らしい歌だ。僕が言うのもなんだが、昔に比べて言葉が格段によくなった。『詞』が『詩』になった。

「チンピラの哀れいきがる悲しさよ」「狂った馬鹿がカタギを気取る」「カタギのくせして極道の真似事」。

正反対の人間様ばかり描いている。人は自然体では生きられず、いきがったり正義ぶったり悪ぶったりせざるをえない。偽善と偽悪。それに対して蝉が「チクショウ」と泣く。

なぜ蝉か? まあ夏だからってのもあるだろうが。

「蝉」の語源を調べてみると、「単」にはもともと「震える」という意味があるらしい(「戦慄」など)。「震える虫」ってことで「蝉」。

だが僕はこの漢字から別の印象を受ける。

「単」である「虫」。単独である虫。転じて、元来ひとりぼっちで孤独な人間という生き物を「蝉」にたとえたのではあるまいか。

人間は孤独な生き物である。そのくせ社会から離れて生きられない。

「自分さがし」なんて言葉はもう聞き飽きたが、自然体で生きることなんてできない。気の合う仲間でつるんでみてもいつか不和が起こる。結果として、人に合わせたり、いい子ぶったり、いきがったりせざるをえない。

自然体で生きたいくせに、孤独で、社会なしでは生きられない。ここに生きることの不条理がある。

(ちなみに、人間が社会的生物であることと、人間が言葉で考え言葉を使う生物であるということはかなり密接に関連している。でもややこしい話はまたの機会に)。

長渕はこの不条理に対して答えを出していない。ただ「蝉が泣く。チクショウと」。

でもそれでいいと思う。これは人間として生まれてきた宿命だから。答えなど、ない。
ラベル:長渕剛 不条理
posted by にあごのすけ at 04:26| Comment(0) | TrackBack(1) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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蝉が泣く・・・チキショウと・・・
Excerpt: ♪蝉が泣く・・・♪チキショウと・・・ 久しぶりにガツンと響いたこのフレーズ。 お盆前に届いた長渕剛のNEWアルバム。 「FRIENDS」の中の3曲目だ。 曲名は「蝉」 このところ毎朝、出勤前に2度ほど..
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