2009年09月02日

睡眠薬考(3)

睡眠薬については以前にも記事に書いた。

睡眠薬考(前編)
睡眠薬考(後編)

しかしやっぱり眠れないのである。眠れるようになった、と思っても、すぐにまた不眠になってしまうのである。

僕の場合、正確には不眠と言うより睡眠障害だろう。夜眠れない。しかし昼は死ぬほど眠い。

僕の「睡眠薬歴」をまとめておこう。

1.ハルラック(ハルシオンのジェネリック)

これは飲んだ5分後くらいに眠気が訪れる。しかし決まって悪夢を見てすぐに目がさめてしまうので、次の組み合わせに変わった。

2.ハルラック+ラボナ

悪夢は見なくなったが、やっぱり3時間くらいで目がさめてしまう。
ちなみにラボナはバルビツール系睡眠薬と言われ、歴史は古く、毒性も強い。芥川龍之介が自殺に使ったのも同じ系統の薬。

3.ハルラック+ラボナ+ビビットエース(ロヒプノールのジェネリック)

ハルラックが超短期型なのに対し、ビビットエースは中期型である。
これで朝までぐっすり眠れるようになった……と思っていたのは僕だけで、ビビットエースのせいで、眠りにつかずに無意識に何時間もしゃべり続ける、という困った事態になった。いわゆる薬物性健忘というやつである。

さらに、目がさめても昼まで朦朧状態、夢と現実の区別がつかない状態となった(くわしくはこちらの記事)。アメリカその他の国では禁止薬物に指定されているくらいだから、かなり強い薬なのだろう。

医者に訴えると、今度はこんな組み合わせになった。

4.ハルラック+ラボナ+ビビットエース+ベタナミン

ベタナミンは睡眠薬ではない。かつて問題になったリタリンと同じく、合法の覚せい剤に分類される。とにかく強引に眠らせて強引に目をさまさせよう、という発想か。僕にはあまり効かなかったが。

こうして薬物の負の連鎖が止まらなくなっていく……。

ここで事情により、僕は病院を変わった。

「ベタナミンをやめるのは苦労しますよ」

医者に言われた。しかしベタナミン、僕にはまったく効かなかったせいか、なんの問題もなくやめることができた。

睡眠薬の組み合わせは次のようになった。

5.ユーロジン+コントミン

ユーロジンは中期型。コントミンは、統合失調症患者の沈静などに使われるメジャートランキライザーである。なぜこんな薬を出されたのかわからないが、睡眠を持続させるためだろう。

しかしこれが効かなかった。かわりに、飲んでから3時間後くらいに急に睡魔に襲われたりする。コントミンが糖衣錠だからではないかと思っているが、理由は不明。

そこでこんな組み合わせも試した。

6.ユーロジン+コントミン+レンドルミン
7.ユーロジン+コントミン+エバミール


これで一時的に眠れるようになったが、耐性がついてしまうせいか、すぐに不眠に戻る。しかし前の医者はバンバン薬を増やしたのに比べ、今度の医者は、なかなか薬を増やそうとしない(おそらくそういう医者のほうが良い医者なのだろうが)。

「運動をすると眠れるようになりますよ」
「太極拳を習ってみてはどうですか」


しかし何をやっても睡眠障害は改善しない。夜眠れなくて昼眠い。

先日昼間に病院に行った。

待合室で僕は眠りこけてしまった。医者がいくら名前を読んでも起きなかったらしく、診察中も僕は朦朧状態。これを見て医者はようやく睡眠薬を変えようと言い出した。

8.ユーロジン+セロクエル

セロクエルもコントミンも、同じメジャートランキライザーである。そのちがいは何か? 調べると両方とも、脳内物質であるドーパミンとセロトニンを抑制する薬である。しかしうつ病は、セロトニン不足で起こるんじゃなかったっけ?

不思議である。おそらく医者も医学も、薬が効く理由についてはまだよくわかってないのではないか。薬の組み合わせ方、処方の仕方も、医者によってバラバラ。どちらかというと経験から薬を調合する漢方薬医に近い印象を受ける。

しかしとにかく、現在はこのユーロジン+セロクエルでなんとか落ち着いた次第。

強制的な感じではなく、自然と眠りにつける。6時間ほどで目がさめる。起きても眠気は強い。いくらでも眠り続けられそうな感覚はある。そこはコーヒーを飲むなり煙草を吸うなりしてしのぐしかない。


※精神疾患がややこしいのは、おそらくそれは必ずしも「脳の病気」と言えないからではないかと僕は思っている。

僕が思うに、「こころ」は脳の中だけにあるのではない。「こころ」はおそらく、脳を含めた人間の関係性(人間関係、文化、言語)に、分離不可能なくらい密接につながっている。

posted by にあごのすけ at 07:24| Comment(4) | TrackBack(0) | 精神 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月30日

美しい朝(さだまさし)



先週、さだまさしのコンサートに行った。

祖父の死の直後にコンサートに行くなんて、まるで『異邦人』のムルソーのようだと言うなかれ。新アルバム『美しい朝』発売に合わせたコンサートツアーだったのだが、アルバムとコンサートの内容と、祖父の死、これが僕の中で奇妙にもリンクしたのである。

観客はあいかわらず年上ばかり、僕の歳でも最年少クラスに属するのはいつもと同じだったが。

今回のアルバムはちょっと異色である。仏教くさいのである。これまでだって、寺や仏教思想について歌った曲はたくさんある。しかし今回は、なんだがアルバム全体が仏教的なのである。線香のにおいがしてくるのである。

アルバムのライナーノーツとライブのパンフレットにはこうある。

「2008年6月に起きた、東京・秋葉原での無差別殺人事件以来、僕の心は少し凍りついてしまい、生命の重さについて考え続けた一年が過ぎた」

そして、

「殺したいほど憎い奴というのは現れるものなんですよ。でも、本当に殺しちゃダメなんです。死にたいほど苦しいことってあります。でも死んじゃダメなんですよね。そんなに早く殺さなくてもいずれ死ぬから。そんなに早く死ななくてもいずれ死ぬから

そんなメッセージを伝えたくてこのアルバムを作ったという。

さらりと、でもとんでもないことを言う。「いずれ死ぬから」今を生きろと。なんというか、マイナス思考をとことん突き詰めていくうちに、いつのまにか裏返ってプラス思考になった感じ。こういう逆転の発想、動機からして非常に仏教思想的なのである。

さだまさしは暗い歌を歌いながらも、全体としては生きることを肯定してきたアーティストだが、ここまでさらりと本音を語ったことはこれまでなかった。ひとつには還暦に近づき、自分の「死」というものがリアルに感じられるようになったからかもしれない。

決して仏教的な歌ばかりではない、長崎弁ラップ『がんばらんば』の続編や、ソフトバンクのCMで使われた『私は犬になりたい¥490』も収録されている。

でも『私は犬になりたい』の歌だって、よくよく聴けば仏教の輪廻転生の歌のように思えてくる。

僕が感慨深かった曲のひとつがこれ↓。

LIFE

詩・曲 さだまさし
たとえばふらりとお茶でも呼ばれるみたいに
この世に生まれ
四方山話に花を咲かせてまたふらりと
帰って行く
そんな風に生きられたらいい
喜びや悲しみや生きる痛み
切なさも苦しさもそれはそれとして OH MY LIFE
あなたがそばにいる それだけで
他にはなにもいらないと思う

たとえばこの世と別れるその日が来たとき
笑えたら良いね
名残は尽きないけどまたいつか会おうねと
じゃあまたねって
晴れた日も雨の日も嵐の日も
愛も怨みも悩みも時が経てば
懐かしい微笑みの向こうに繋がるもの OH MY LIFE
あなたがそばにいるそれだけで
他にはなにもいらないと思う

たとえばふらりとお茶でも呼ばれるみたいに
この世に生まれ
四方山話に花を咲かせてまたふらりと
じゃあまたね


この肩の力が抜けた感じ、この自由さ。

前の記事に書いたが、祖父の死を目の当たりにして僕が学んだことは、死は恐れるものでもましてや崇高なものでもない、ただただ自然なことだ、ということだった。そんな僕の考えとこの歌の内容とが、奇しくも一致したのである。

なんというか、個人的な感想になるが、現状の僕をそっと背後から支えてくれるような、これはそんなアルバムである。

パンフレットに面白いことが書いてあった。

彼曰く、自分はこれまで「さだまさし的な物」にこだわりすぎていた。

「このまま普通のおじさんのように歳をとっていっていいのか」

これからは自分の枠を壊してどんどんヘンなじいさんを目指すようである。

「『ええ、こんな所まで!!』という所まで行ってみせるからね。そういう意味ではこれからのさだまさしは買いですよ」

さて、いったい何をやらかすのだろう。ホントにとんでもないことをやりそうな気がする。
posted by にあごのすけ at 01:38| Comment(0) | TrackBack(1) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月22日

蓮如文集



僕の夏休みは想定外に長いものとなった。

夏休みの最終日に祖父が死んだ。通夜と葬式をするため、僕はさらに3日間休みをとることになったのである。

僕にはずっと負い目があった。

生きるだの死ぬだの、日ごろから哲学者ぶって語っているけれど、実際のところ僕は「生死」とはいったいなんなのかよくわかってないのじゃないか?

これまで親類や友人など、人の死に少なからず直面してきた。でも通夜や葬式にちょろっと顔を出した程度、死の全貌を見たことがなかった。

その点、祖父については、数年前からボケはじめ、身体が弱っていくようすを目の当たりにしてきた。もう意識があるのかないのかわからない状態で入院しているところへも見舞いに行った。

死の全貌を直視し、そこから何かを学び取ることが、「哲学者」たる僕の役割なんじゃないのか。それが僕にできる最後の「祖父孝行」なんじゃないのか。ひねくれた考えかもしれないが、僕はそう気負って会場に駆けつけた。

湯灌の儀式から通夜、葬儀、火葬まで全部立ち会った。

集まった親族は和気藹々としていた。僕も含めみんな悲しんではいるのだが、なごやかなムードだった。通夜や出棺のときなど、あちこちから鼻をすする音、泣き声は聞こえるが、終わるとケロッとしている。

言ってみりゃ大往生、みんな心の準備もできていたのだろう。通夜や葬儀のあとの食事のときなんかは、みんな酒を飲んで酔っ払い談笑し、まるで正月に親戚が集まったかのようなムードだ。

(一番取り乱していたのは親族ではなく、隣近所の人たちだった。落ち着きはらった親戚をつかまえて「あたしがこんな小さいときからよくしていただいてホンマにもう……」と号泣しながらひたすらしゃべり続ける近所のおばちゃんなど)。

火葬のときはもう悲しみのムードはすっかり消えていた。

実は僕はこれを一番恐れていた。さっきまであった肉体が数時間で骨になってしまうのを目の当たりにし、取り乱してしまうんじゃないかと。

だが全然そんなことはなかった。いとこ兄弟らも同じ感想だったのだろう。台の上に細かくくだけて散らばった骨片を見ながらみんなキョトンとしている。「なにコレ?」てな感じである。

「足のほうから上へと、お骨を順番にひろって骨壷にお納めください」

係員が厳粛に言う。すると親戚一同、箸を持っていっせいに足の骨をひろい出したので、係員、急にあわてて、

「足の骨ばっかりひろわないように!」

ちょっとしたこっけいな場面だった。

さて、ここからが本題である。

骨壷を前に、僧侶が最後のお経をあげる。仏教についてはある程度知っているつもりでいたし、葬式の仏教は、まあ儀式程度の意味しかないと思っていた。

ところが坊さん、読経の途中で、こんな文章を朗読しはじめたのである。

「夫れ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。
 されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。
 されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。既に無常の風来りぬれば、即ち二の眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
 さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなり。されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり」


ギョッとした。ゾゾゾゾ、と、背中に寒いものが走った。

あとで調べるとこれは600年前の僧侶・蓮如上人が残した言葉だった。一般に『白骨の章』と呼ばれている文章らしい。

僕流に意訳するとこうだ。

「人間の生涯なんて、よく見りゃ一瞬で過ぎていく幻のようなもんだ。
一万年生きた人間なんていないし、百年生きられるやつもまずいない。
あっというまだ。今日か明日か、自分だっていつ死ぬかわかったもんじゃない。自分のあとにもさきにも、あるのは無数の「死」だ。
朝には生き生きしているやつも、夕方にはただの白骨になるのだ。
目は閉じ、息は止まり、顔が蒼白になり、親戚一同集まって嘆いたところで、もうどうにもならんのだ。
どうしようもないから火葬にして、そして残るのは白い骨だけだ。
人間はとにかく哀れで愚かな存在にすぎんのだ。子どもも年寄りも関係ない、みんな儚い存在なのだ。
ただ『南無阿弥陀仏』と唱えて祈ることくらいしかできんのだ」


正直言って、葬式で朗読するにはあまりにも酷な言葉である。

仏教とは、これほどまでにニヒルで、厳しい思想なのか。

そしてふと自分を省みる。「人生は無意味だ!」と、このブログその他で僕は声を大にして語り、歌をつくったりもしている。その行為自体はいいとして、でも僕の心のどこかに高慢さがあったのではないか。

人生の儚さ、無意味さなんて、何百年何千年も前から多くの宗教家が言ってきたことだし、今生きている人々の多くもきっと、その人なりにそう感じている。

声を大にするまでもない。人生が無意味だなんてあたりまえのことだ。

僕は自分をちょっと恥じた。

祖父の葬儀を通して僕が何を学んだかというと、実は大したことはあまり学べなかったような気がする。

でもこの「大したことじゃなかった」というのが実は重要なのかもしれない。

祖父は自然に老い、自然に衰え、自然に死に、自然に骨になった。すべてにおいてあまりにも自然だった。

僕はこれまで、生を恐れ死を恐れ、時には死に誘惑される、そのくりかえしの人生だった。

だがそれは、「死」を過大評価しすぎていたからかもしれない。

「死」が何かはいまだにわからない。おそらく最後までわからないだろう。でもそれはとても自然なものなのだ。必要以上に恐れることも持ち上げることもない。

とにかくいま僕は生きている。そして今日も一日生きる。なぜか? だって生きてるんだもの。


サンキュー、じいちゃん。
posted by にあごのすけ at 05:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月09日

蝉 semi(長渕剛)



僕はそれほど長渕ファンではない。それどころかもう10年以上まともに聴いていない。でも高校時代〜20歳過ぎまではよく聴いていた。

ひとつには、その頃僕がフォークギターを弾き始めたというのがある。

まわりの友達がみんなエレキに走るのとは逆に、アコースティックギターを買った僕は、さて何を歌おうと迷った。70年代フォークは好きだが、人前で弾くにはあまりにも旬をすぎていた。その点長渕は、リアルタイムで活躍していて、なおかつアコギで弾き語りできる数少ないアーティストのひとりだったのである。

街にはストリートミュージシャンがあふれていた。みんな長渕を弾いていた。僕もそのひとりとなった。大学時代、金に困ってヤケクソで、弾き語りで得た収入で食費をまかなっていたこともあった。

ところがあるとき、取り巻きのひとりからこう言われたのである。

「歌い方が長渕っぽくない」

僕はガクゼンとした。僕は決してモノマネしているわけではないのだ。自分で弾いて自分で歌う。だから自分流でいいんじゃないのか?

これを機に僕はだんだん長渕から離れていった。

長渕はマスコミから『教祖』と呼ばれるようになり、彼自身の歌もどんどんメッセージ性が強くなった。

93年のアルバム『Captain of the Ship』が決定的だった。長渕剛の個人的メッセージが満ち満ちている。もうこれは僕は歌えないな、と思った。僕は長渕の布教家でも宣伝マンでもない。いや、逆説的だが、長渕の歌に少なからず敬意を表するのであれば、彼の歌ではなく、自分自身の言葉と歌い方で歌うべきだろう。

その半年後に彼は大麻所持で逮捕された。長渕も疲れていたのか。

復帰後に出たアルバム『家族』はなかなかよかったが、これを最後に僕は長渕を聴かなくなった。

そして本当に久しぶりに聴いたのが、この7月に発売された『蝉 semi』である。

蝉 semi

作詞作曲 長渕剛


蝶よ花よで かつぎあげられ
背中にスミを 入れようと
己の弱さを呪った 一人の夜

腐って腐って 腐り果て
ラーメン横丁の たて看板
ごろまきひっかく チンピラの
哀れ いきがる 悲しさよ 
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・


刺してみせましょ 己の腹を
刺されてみましょか ボロ雑巾
ため息まじりの ラッパの兵隊
 
幾人束ねて カチ込んでも
命からがら 負けちまい
正気のさたじゃ ねぇなどと
狂った馬鹿が カタギを気取る
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・


はったりばかりを かますから
裏と表を すかしましょ 
酒におぼれて毒づいた 一人の夜
 
臭ぇ 人情芝居が
俺にゃ ゆがんで見える
サイコロ転がし 「チョウ」か「ハン」かで
昇ってみましょか この世の果てまで
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・

群れをなさない 都会の蝉よ
お前そんなに 悲しいか 
切ったはったではじかれ 死んだふり
 
心揺さぶり ときめかし
肝に命じて はいあがりゃ
裏切り血の雨 ふっかけやがる
カタギのくせして 極道の真似事
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・

蝉が泣く・・・ チキショウと・・・
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・
蝉が泣く・・・ チキショウと・・・


けっこう聴いている。いまの僕の気分に合っているのか。PVもなかなかよい↓。
http://www.youtube.com/watch?v=9tdEnbEdgIA

長渕らしい歌だ。僕が言うのもなんだが、昔に比べて言葉が格段によくなった。『詞』が『詩』になった。

「チンピラの哀れいきがる悲しさよ」「狂った馬鹿がカタギを気取る」「カタギのくせして極道の真似事」。

正反対の人間様ばかり描いている。人は自然体では生きられず、いきがったり正義ぶったり悪ぶったりせざるをえない。偽善と偽悪。それに対して蝉が「チクショウ」と泣く。

なぜ蝉か? まあ夏だからってのもあるだろうが。

「蝉」の語源を調べてみると、「単」にはもともと「震える」という意味があるらしい(「戦慄」など)。「震える虫」ってことで「蝉」。

だが僕はこの漢字から別の印象を受ける。

「単」である「虫」。単独である虫。転じて、元来ひとりぼっちで孤独な人間という生き物を「蝉」にたとえたのではあるまいか。

人間は孤独な生き物である。そのくせ社会から離れて生きられない。

「自分さがし」なんて言葉はもう聞き飽きたが、自然体で生きることなんてできない。気の合う仲間でつるんでみてもいつか不和が起こる。結果として、人に合わせたり、いい子ぶったり、いきがったりせざるをえない。

自然体で生きたいくせに、孤独で、社会なしでは生きられない。ここに生きることの不条理がある。

(ちなみに、人間が社会的生物であることと、人間が言葉で考え言葉を使う生物であるということはかなり密接に関連している。でもややこしい話はまたの機会に)。

長渕はこの不条理に対して答えを出していない。ただ「蝉が泣く。チクショウと」。

でもそれでいいと思う。これは人間として生まれてきた宿命だから。答えなど、ない。
ラベル:長渕剛 不条理
posted by にあごのすけ at 04:26| Comment(0) | TrackBack(1) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月27日

時をかける少女(アニメ映画)



ひさしぶりに「良い!」と感動した映画。

まず主人公である女子高生・紺野真琴が良い。うつな僕としては、やっぱりこれくらい単純明快で明るくてボーイッシュな女の子にあこがれるのである(うつな男とうつな女が出会ってもろくなことがない……)。

それに登場人物全般に言えることだが、いわゆるアニメ声な声優ではなく、どこか素人クサイところがまたよい。貞本義行の絵も非常に良い。表情の微妙な変化の描き方がうまい。

昔の実写映画版は原田知世くらいしか印象に残っていないが、こっちのアニメ版のほうがずっと良い。

ストーリーは原作とも実写版とも大きく異なっているが、ストーリーのあちこちに散りばめられた何気ないシーン。それがあとあと意味を持ってくる。話として良くできていると思う。

何より、僕がまったく飽きることなく一気に最後まで見続けられたのは、この映画が持っている「疾走感」にあると思う。

実際、主人公の真琴はよく走る。自転車に乗って、あるいは自分の足で、とにかく走るシーンが多い。

ストーリー展開もテンポが良いのだが、合間合間に「静」のシーンがはさまっていて、見る側を惹きこんでいく。

……とまあ、僕としては大絶賛するアニメなわけだが。

この映画はSFであると同時に、青春モノ、恋愛モノである。

恋はせつない。

なぜこんな話をするかと言うと、この「せつない」という感覚と、この映画のテーマのひとつである「時間」とは、非常に深く関係しているからである。

「せつない」の語源である「刹那(せつな)」は実は仏教用語である。

心が感じられる時間の最小単位を仏教では「刹那」と呼ぶ(一説では75分の1秒)。

つまり「せつない」とは、この一瞬を愛惜しむ感覚のことである。「今」という一瞬を愛し、二度と戻らない「過去」という一瞬を惜しむ感覚。「今」という瞬間をつかんだと思った一瞬後には、すでに取り戻せない過去に飛び去ってしまう、あの感覚。

考えれば「愛」は不変的・安定的であることが求められるが、「恋」は非常に流動的である。

相手を意識し始めると同時に「恋」ははじまっている。距離を縮めていく過程も「恋」。つきあい出してときめくのも「恋」。そして別れも、また「恋」の一部である。

常に流れている。流れを失った時点で「恋」は終わる。恋している限り、せつなさは続く。いくらむさぼっても決して満たされきれず、矢のように飛び去っていく一瞬を取り戻そうにも取り戻せない、あの感覚。そして結果的に、この「せつない」という感覚が恋の終わりを加速する。

人の生き方もこのふたつに分けられるかな。

「不変性」を求める生き方と、「流動性」を求める生き方。

前者は変化を望まず、平和な夫婦関係や家族関係が一生続くものと信じ、判で押したような規則正しい生活、仕事は単調だが収入が途絶えることはない。

後者は常に新しいものを求め続け、異性にしても仕事にしても生活にしても常に「恋」をしている。そして出会いと別れとをくりかえす。

人はこのどちらかのタイプに必ずしも分けられるわけではなくて、ずっと安定志向だったのが急に新しい変化を求めたりする。

人生とは非常にタチが悪いものであるのだな。

恋愛ドラマとしても、青春ドラマとしても、非常にせつなさの残る映画でした。不覚にも泣けた。
posted by にあごのすけ at 05:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 映像 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月18日

孤独の太陽(桑田佳祐)



僕にとっての「名盤」とそうでないものの区別はどこにあるのかを考えると、ひとつには「長く聴き続けられるかどうか」にあると思う。

その意味では桑田佳祐『孤独の太陽』は僕にとっての名盤中の名盤である。

1994年の発売以来ずっと聴いている。数年間聴いていなかったかと思えばまたひっぱりだして聴いている。そんなアルバムである。

サザンと異なり、アコースティックサウンドを前面に出している。桑田のブルースハープがいい味を出している。ゴテゴテしたロックもあるがとにかく荒削りである。そこがまた良い。

歌詞は社会風刺ネタが多い。いや、「ちゃかし」と言うべきか。どこまで本気で批判しているのかよくわからないのが桑田らしいところ(忌野清志郎にしろ、「天才」と呼ばれるミュージシャンは、往々にしてどこまで本気か、あるいはちゃかしているだけなのかよくわからないことがある)。


その中の1曲。
すべての歌に懺悔しな!!

詞・曲:桑田佳祐


ゆうべもゆうべ脳ミソ垂らして 女に媚びを売る
街中みんなのお笑い草だぜ バカヤロ様がいる
歌が得意な猿なのに 高級外車がお出迎え
スーパースターになれたのは
世渡り上手と金任せ

冗談美談でふんぞり返って ケジメも無しとする
言い寄る女と愚かな客とが それでも良しとする
大学出たって馬鹿だから 常識なんかは通じねえ
濡れた花弁にサオ立てて 口説き文句はお手のモノ

今は君のために飲もう 僕と風と共に行こう
すべての人に 恋をしな!!

道化も道化ウンザリするような 生き様シャウトすりゃ
小粋な仮面でどこかでパクった 小言を連呼する
子供の頃から貧乏で そのうえ気さくな努力家で
実はすべてが嘘なのに
芝居のセンスにゃたけている

天才奇才とおだてりゃエテ公は いつでも木に登る
儲かる話とクスリにゃ目がない バカヤロ様がいる
チンチン電車は走るけど 青春時代は帰らない
TVにゃ出ないと言ったのに
ドラマの主役にゃ燃えている

今は君のために飲もう 僕と風と共に行こう
すべての歌に懺悔しな!!
今は君のために飲もう 僕も風と共に行こう
哀れ君の為に泣こう 僕も同じ夢を見よう
すべての人に 恋をしな!!



コード進行も歌詞の組み立て方もさすがですな……と感心している場合じゃなくて、この歌をめぐって当時おおさわぎが起きた。

まず、これはいったい誰のことを歌っているのか?と週刊誌が騒ぎ出した。候補は矢沢永吉と長渕剛にしぼられた。桑田は謝罪文を出すはめになった。

矢沢は「まあいいってことよ」と大人な反応だったが、長渕はカンカンだった。

「許さない!!」

怒ったのにはいろいろ理由があって、まず長渕はじめ聴く人が聴けばあきらかに長渕のことを歌っていることが明白な歌だった。

人は往々にして、本当のことを言われると腹が立つものである……長渕の場合どうかは知らないが。

結局、このしばらくあとに長渕は歌にあるとおり「クスリ(大麻)」で逮捕され、さわぎは収束した(詳細はWikipediaを参照)。

アルバムの話に戻るが、とにかく桑田が好き勝手につくったアルバムだな、という印象。

社会風刺が多いが、一貫したメッセージは感じられない。でもそれが「音楽」の本来の姿なのかもしれない。

言葉で説明できるようなメッセージならば、わざわざ歌をつくる必要もない。



posted by にあごのすけ at 12:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月08日

ぼちぼちいこか(上田正樹と有山淳司)



ブルースは、いまから100年以上も前にアメリカの黒人たちの間で歌われていた鎮魂歌労働歌を起源とする音楽ジャンルである。

「Blues」というくらいだから、ブルーな心境・ブルーな状況を歌にする。しかしブルースには憂いは感じられるのだが、聴けばなぜか明るい気分になる。

今回紹介するアルバム『ぼちぼちいこか』はブルースを歌っている。

1975年発売。まだ若かりし頃の上田正樹と有山じゅんじ。日本ブルースの金字塔ともいえるアルバムである。

一方では同時期にデビューした憂歌団がいるが、このふたつのユニットには大きなちがいがある。

憂歌団は当時は京都を中心に活動していたのだが、京都について歌った曲はあまりない。しかし上田正樹と有山淳司の『ぼちぼちいこか』は、大阪という街を前面に押し出し、大阪弁で歌っている。

理由は明白だろう。大阪はブルースがぴったり来る街だからだ。

芸人気質というか、大阪の人はなんでもネタにしようとする。自分の身にふりかかった不幸ですらネタにして笑いにする。そういう部分が、「つらいことを明るく歌う」ブルースとマッチしたのだろう。

大阪の道頓堀からくいだおれが消えた去年2008年、ふたりは『ぼちぼちいこか』収録曲のうちの何曲かを録りなおした。こちらも聴いてみる価値あり。



posted by にあごのすけ at 18:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月15日

HANABI



実は単なる個人的な悩みであったとしても、それを世界規模にまで拡張して、深く悩んでしまう男というのは存在する。

古くはビートルズのHey Judeの歌詞にもあるように。

「Dont carry the world upon your shoulders」

世界中の悩みをひとりで背負っているような気分になるなよ。でもそういう悩み方をするのは決まって男のような気がする。僕もまたそういう男のひとりである。

そういう男が求める女性は、決して自分を理解してくれる人ではなく、自分の悩みを笑い飛ばし破壊し、それでも笑ってそばにいてくれる人なのかもしれない。

以前に書いた記事で紹介したウルフルズの「暴れだす」で描かれていた女性も、まさにそんな感じだった。

ミスチルの最近の楽曲「HANABI」も、スタンスは同じである。



HANABI

作詞作曲 桜井和寿


どれくらいの値打ちがあるだろう?
僕が今生きてるこの世界に
すべてが無意味だって思える
ちょっと疲れてるのかなあ

手に入れたもんと引き換えにして
切り捨てたいくつもの輝き
いちいち憂いていれるほど
平和な世の中じゃないし

一体どんな理想を描いたらいい?
どんな希望を抱き進んだらいい?
答えようのないその問いかけは
日常に葬られてく

君がいたらなんて言うかなあ
「暗い」と茶化して笑うのかなあ
その柔らかな笑顔に触れて
僕の憂鬱が吹き飛んだらいいのに

決して捕まえることの出来ない
花火のような光だとしたって
もう一回 もう一回
もう一回 もう一回
僕はこの手を伸ばしたい

誰も皆 悲しみを抱いてる
だけど素敵な明日を願っている
臆病風に吹かれて 波風がたった世界を
どれだけ愛することができるだろう?

考えすぎで言葉に詰まる
自分の不器用さが嫌い
でも妙に器用に立ち振舞う
自分はそれ以上に嫌い

笑っていても泣いて過ごしても
平等に時は流れ未来が僕らを呼んでる
その声は今 君にも聞こえていますか?

さよならが迎えに来ることを
最初からわかっていたとしたって
もう一回 もう一回
もう一回 もう一回
何度でも君に逢いたい

めぐり逢えたことでこんなに
世界が美しく見えるなんて
想像さえもしていない
単純だって笑うかい?
君に心からありがとうを言うよ

滞らないように 揺れて流れて
透き通ってく水のような心であれたら

逢いたくなったときの分まで
寂しくなったときの分まで
もう一回 もう一回
もう一回 もう一回
君を強く焼き付けたい

誰も皆 問題を抱えている
だけど素敵な明日を願っている
臆病風に吹かれて 波風がたった世界を
どれだけ愛することができるだろう?
もう一回 もう一回
もう一回 もう一回


ちなみにこの歌で語られている、世界が無意味だとしても一瞬一瞬の出来事には意味があるかもしれない、という思想は、さだまさしの「防人の詩」にも共通する。すべてはやがて死んでしまう、と歌ったあとで、さだまさしは「わずかな生命のきらめきを信じていいですか」と問いかける。

ともかくも、男の苦悩の構造というのは案外単純なのかもしれない。

女は、そんな頭デッカチな男の苦悩を一笑し消し去るだけのパワーを持っているように思う。いや、古代ギリシア以来、男たちが二千数百年かけて築き上げてきた哲学の歴史ですら、女の前では無力化する。

とにかくいくらいばっていても強がっていても、結局のところ男は女には頭が上がらない。言い過ぎか。

ちなみにミスチルだが、彼らは「未来」に目が行きすぎているように感じることがある。

自分が救われるヒントは「未来」だけにあるわけではない。「過去」にだってあるかもしれない。

過去は決して変えられない。
だが自分の見方ひとつで、自分の過去の持つ意味合いが大きく変わることだってある。


posted by にあごのすけ at 03:36| Comment(1) | TrackBack(2) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月13日

分岐点

過去に他人から、トラウマになるようなひどい目にあわされた人は、やがて同じように加害者の側に回ることがある。

部活で先輩からいびられいじめられた新入部員が、2年生になったとたんに今度は新入生をいびる側に回るように。

虐待を受けて育った子どもが、やがて大人になり、時として今度はわが子を虐待するようになるように。

だがその逆の場合もある。

人からひどい目にあわされても、「自分はあんな人間には決してならない」と心に決めて反対の道を生きる人もいる。

このちがいはどこからくるのか。

20歳の頃の僕は、底なし沼に首までつかっていた。

大学になじめなかった。親しい友人もできなかった。被害妄想もあいまって、僕はアパートにひとり閉じこもってもがき苦しみ続けた。でも、もがけばもがくほど絶望の淵に吸い込まれていくようだった。

だれも僕の苦しみをわかってくれなかった。周囲の人間は僕を単なる甘えた怠け者とみなした。そして僕は、自分の苦しみが理解されないのはみんながバカだからと思った。そしてますます孤独になった。

でも生活費のこともあり、週2回のバイトだけはなんとか行っていた。

深夜のコンビニのバイト。

ある夜明け前にその事件は起こった。

チンピラ風のにいちゃんが突然僕につっかかってきた。

レジでオレをいつまで待たすねん。

コワモテの男にすごまれた経験などなかった僕は、心底恐怖した。すみません気づきませんでした。でも彼はいまにも殴りかかってきそうな剣幕だった。いやおまえは気づいとったはずや。気づいとったのにオレを無視したんや。

小心者のくせに我を曲げない僕は、いいえ本当に気づかなかったんです、何度もくりかえした。向こうも引き下がらなかった。店長を呼べという話になり、僕は震える手でプッシュボタンを押した。

店長はすぐに飛んできた。僕の前でチンピラに平謝りした。そして僕にも非を認めるようにと言った。

しばらくの押し問答の末、僕は主張を曲げざるをえなくなった。

すみませんでした、気づいていたのに無視していました、申し訳ありません、と。

いま思えば、3者3様の立場があったんだろう。それがたまたま負の連鎖を起こした。しかたのないことだった。

でもその時の僕は、まるで人生が終わったような気持ちだった。いや、真剣にそう思った。すべては終わった。僕の人生はこれで終わったんだと。

朝になった。電車に乗る気力もなかった。タクシーをとめた。

40代サラリーマン風の、人のよさそうな運転手だった。僕はよっぽどひどい表情をしていたのだろう、何かあったのかときいてきた。押し黙っていると運転手はバックミラーの中で苦笑いした。でも気遣うようにチラチラと何度も僕を見るので、僕は静かに話し出した。

「それはひどい話やなあ」

運転手は大げさなくらいに僕をかばった。そして色々な話をしてくれた。

なぜタクシーの運転手になったか。将来どんな夢を持って働いているか、など。

「今日のことを絶対忘れたらあかんよ」

タクシーをおりる時、運転手は笑顔を崩さずに僕に言った。

「将来もし自分が人の上に立つことになったときは、部下の肩を持ってやらなあかん。でも自分の信念は曲げたらあかんで」

アパートのドアを開けるなり、僕は玄関先に泣き崩れた。慟哭した。それまでのやるせない気持ち、みじめな気持ち、悲しみ、苦しみ、不安、屈辱感、すべてが一気にあふれ出した。昼過ぎまで僕は泣き続けた。

でもいま考えると、あの運転手のおっちゃんとの、時間にしてたった20分ほどの出会いが、僕の人生をちょっとずつ、やがて大きく軌道修正してくれたような気がする。

あの人に出会っていなかったら、僕の生き方や人間観はもっとひねくれたものになっていたかもしれない。

でもいまの僕が果たして「善人」かというと、自分ではどうにも判断できない。

ときには気づかず、あるいはやむをえず、あるいはもっと卑怯な理由から、加害者の側に立ってしまうこともある。
posted by にあごのすけ at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月12日

楽しい夕に



忌野清志郎ネタをもうひとつ。

僕がよく聴いていたのは、RCのデビューアルバムである『初期のRCサクセション』から90年代の忌野清志郎&2・3'sあたりの曲だが、個人的に一番衝撃的だったのは実は今回紹介するアルバム『楽しい夕に』である。

RCサクセションのセカンドアルバムである。名盤と言われた『シングル・マン』のひとつ前のアルバムになる。

1枚目と2枚目はアコースティック編成、3枚目『シングル・マン』からはエレキ編成となる。しかし先日紹介したドキュメンタリー本『GOTTA!忌野清志郎』の中で、1枚目のアルバムはあとから勝手にいろいろな音を重ねられて全然RCのサウンドじゃなくなってしまった、と清志郎は語っている。

よってこの『楽しい夕に』こそ、初期のRCのサウンドを忠実に記録しているのではなかろうか。

そして僕は衝撃を受けたわけである。

こんなフォークサウンドがあったのか!!

僕はアコギ弾きであってエレキは弾かない。どうしてもフォークなサウンドに反応してしまうわけである。

基本はたぶん3人編成、フォークギター2本とウッドベース。あとドラムとハモンドくらいか。

でもこれはもはやフォークソングなんかではない。ロックか、R&Bか、なんと呼んでいいのかわからないがとにかくすごいのである。どっちへ転がっていくのかわからないメロディとコード、ヘタなようなうまいような、でも斬新なベースラインとリードギター。そして清志郎がかき鳴らすアコギは本当に「ガッタガッタ」と鳴る。

当時このアルバムがどうして売れなかったのか不思議だ。時代がついてこれなかったのか。いや、そもそもこのサウンドを受け継いでいるミュージシャンが現在いるのかどうか。このアルバムのRCは、それ以降のエレキ化したRCとも大きく異なっているのである。

でもとにかく僕はこのアルバムを聴いて、アコースティックサウンドの新たな境地を見た。

ちなみに、収録されている『日隅くんの自転車のうしろに乗りなよ』という曲。「日隅くん」はRCのサポートメンバーだった。

だが『GOTTA!忌野清志郎』によると、バンドが売れないことに彼は悩み、追い詰められ、ついには自殺してしまった。

アルバム『シングル・マン』の中の名曲『ヒッピーに捧ぐ』は、彼の死について歌ったものである。

でもいまとなっては清志郎自身を追悼する歌のように聴こえる。
posted by にあごのすけ at 19:57| Comment(1) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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